2010/03/07

平井収二郎

加尾がかわいそうだぜよ!

収二郎が宮迫だからむかつくのですな。

でも、宮迫は結構、アツい演技がいいですな。

結局、収二郎は切腹するのですな。

土佐勤王党に参加。武市半平太が勤王運動のために藩主を京都に上洛させた文久2年(1862年)には、共に京都に入る。「隈山春秋」と「帰南日記」を著す。「隈山春秋」は、薩長だけではなく、当時、どのような人々と会ったか、朝廷ではどのような議論が起こっているのか、など多くの事柄が書きとめられている。

勤王運動を行う藩政改革を計画し、青蓮院宮に令旨を請い、藩政改革を迫ったが、それが佐幕派や山内容堂に疎まれ、失敗。間崎哲馬、弘瀬健太と共に切腹。土佐勤王党の獄の犠牲者第1号となる。享年は29と28の2説がある。





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